細川家文書
今日はちょっくら国会図書館まで行ってみました。
細川家文書の「綿考輯録」とやらで三成に触れられてるところがあるそうだとこちらで知りまして。
で、言及されていた部分というのが、関ヶ原前に味方に勧誘しようとしての行動でした。
その後の忠興の反応は特になかったような・・・
(追記:内府に勝てる訳ねーじゃんみたいな事を云われてたようだね。忘)
興味がある方は、2巻収録の巻十二を是非ご覧ください。
合理と云うより前のめりな三ったんの行動が可愛いです。
つか、コニたんあたりがやった方が上手くいったんじゃ・・・と思わずには居られません。
コニたん商人(魚屋)の息子だろ!口上手いだろ!
んで、まぁ重々判っていた事ですが、あまりに我らが殿こと三ったんが悪し様に云われてて吹きました。
「石田か輩」とか「石田か某」とか、最早呼び方すら官名で呼んでくれない!
ちなみにこれは江戸期に書かれたものらしく、戦国時代(幽斎・忠興あたり)の描写はかなり微妙らしいです。
が、他の巻で天草四郎やら何やらがやたら詳しく載ってるらしいがその辺はかなり資料として信憑性があるそうなので、その筋の方どうぞ。
しかし、あゆむんと二人で分担して読んだのですが、凄い疲れましたよ・・・
(江戸期あたりはあゆむんが読んで私は見てないので伝聞調)