バンギャが非ギャ男の彼にヴィジュ界隈を軽く紹介するための10枚



http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

初めに言い訳しておく。

結構無理したから日本語がおかしい。

無理くりテンプレに突っ込んだから本心でそう思ってないアイテムも入ってる。


●追記●

往生際悪く説明&言い訳(その他)を書きました。

http://d.hatena.ne.jp/mortal_sun/20080725/p3


まあ、どのくらいの数のギャがそういう彼をゲットできるかは別にして、

「ギャ男ではまったくないんだが、しかし自分のヴィジュ趣味を肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らないヴィジュとはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ギャの都合のいい妄想の中に出てきそうなギャに、ヴィジュのことを紹介するために聴かせるべき10枚を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼にヴィジュを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、精神的に過大な負担を伴うライブ音源は避けたい。

あと、いくらヴィジュ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。

元祖探し好きが『デヴィッド・ボウイ』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。


彼の設定は

ヴィジュ知識はいわゆる「sakuraタイーホ」以前を除けば、ラルク程度は聴いている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。


まずはわたくし的に。出した順番は実質的には意味がない。


まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ヴィジュアルバブル以前」を濃縮しきっていて、「ヴィジュアルバブル以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。

長さも50分弱だし。

ただ、ここでヴィジュオタトーク全開にしてしまうと、彼との関係が崩れるかも。

この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼に伝えられるかということは、ギャ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。


アレって典型的な「ギャが考える一般人に受け入れられそうなアルバム(そうギャが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

「ギャとしてはこの二つは“ヴィジュ”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。


ある種の麺が持ってる洋楽への憧憬と、中二病的な歌詞(カード)考証へのこだわりを彼に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも京な

「ディル的なお腹いっぱいシャウト」を体現するGRIEF

「虜的に好みな曲」を体現するREPETITION OF HATRED

の二曲をはじめとして、ギャ好きのする偏執的なまでのシャウトをちりばめているのが、紹介してみたい理由。


  • CELLULOID(Pierrot)

たぶんこれを聴いた彼は「第三帝国モチーフだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜の作品がその後続いたこと、これが女オタに大人気になったこと、ドイツから怒られて、それが日本との政治問題に発展してもおかしくはなさそうなのに、関係ないとこでレコ倫から歌詞を怒られたこと、なんかを非ギャ男な彼と話してみたいかな、という妄想的願望。


「やっぱりヴィジュは女子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「オサレ」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける彩冷える麺の思いが好きだから。

断腸の思いでバンド継続しても客の激減、っていうぺこた脱退が、どうしてもわたくしの心をつかんでしまうのは、その「続ける」ということへの諦めきれなさがいかにもドラマティックだなあと思えてしまうから。

彩冷えるの継続をわたくし自身は無茶とは思わないし、もうやるしかないだろうとは思うけれど、一方でこれがお兄ちゃんだったらきっちり大崩壊してしまうだろうとも思う。

なのに、各所で叩かれて誹謗中傷を受けても新しくコンポーザータイプの麺を加入させてしまう、というあたり、どうしても「波乱のあるバンドを応援したくなるギャ」としては、たとえあおちゃんがが苦労人キャラでなかったとしても、高揚感を禁じ得ない。

作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼に話してみたい。


今の若年層で音楽と人の酒飲み日記をリアルタイムで読んでた人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

ヴィジュアルバブルよりも前の段階で、俺は駄目なんだ美学とか飛び道具的下手ギタリストとかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういう外見のバンドの作品がレコ大でこの時代に賞取っていたんだよ、というのは、別にわたくし自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなヴィジュ好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆる外見が派手で演奏が下手というイメージでしかヴィジュを知らない彼には聴かせてあげたいなと思う。


昨今転がってるバンドの「元ネタ曲」あるいは「インスパイア ザ 逆ネクスト」をオバンギャとして教えたい、というお節介焼きから聴かせる、ということではなくて。

ヴィジュアル系は終わった」的な感覚が市川哲史にはあるのかなということを感じていて、そこに反論したいからこそいつまでも何かの劣化コピーをしているバンドはあり得ないとも思う。

「イマドキのヴィジュ盤に魅力を感じない」というオバンギャの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「古き良き時代」の源は黒夢にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、

単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。


これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういう宗教儀式風味のフリが孫ファン以外でも一般教養的にこなす、それが非ギャ男に受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。


  • PSYENCE(hide)

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にhideを選んだ。

LUNA SEAから始まってhideで終わるのもそれなりに収まりはいいかは判らないが、ヴィジュアルバブル以降の裏方のマニピュレーターを表のバンドに引っ張り出す先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、わたくしのこういう意図にそって、もっといい10枚目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。